いい話悪い話

2013年8月 6日 (火)

「戦国一の風呂使い」前田慶次

優れた内政手腕をもって、会津三奉行のひとりに数えられる安田能元。
趣味を同じくする慶次とは気が合ったようで、たびたび連歌会や茶の湯を共にしたという。

ある日、慶次は能元宅に招かれ、食事を振る舞われた。
質素ながらも、慶次の好みに合わせた、客人をもてなす正しく「御馳走」であり、慶次は喜んで口にした。
が、頬張った飯が炊きたてで、喉が焼きただれんばかりに熱く、これには流石の慶次も思わず
 「アッー!熱っ!!すまぬが水をくれぬか」
普段は何事にも動じない慶次の慌てっぷりが面白かったのか、はたまた天然か。能元は涼しげに
 「香の物を口に含まれよ。さすればじきに冷めるだろう」
と返した。

後日、慶次は「先日の礼も兼ねて、我が家自慢の風呂を馳走したい」と、能元を自宅に招いた。
当代きっての風流人である慶次から招待をされるのは嬉しくもあったし、また、空気の冷たくなってきた時期でもあったので、能元は喜んで受ける事にした。
見事な拵えの風呂に
 「さすがは前田殿、自慢するだけの事はある」
と足を湯に入れると、これまた熱い。肌が焼けんばかりの熱さで、豪胆を自負していた能元も思わず
 「アッー!熱っ!!水を、水を差してくれい」
これを聞いて、待ってましたと慶次。香の物を一切れ差し出した。
能元、一瞬唖然とするも、すぐに慶次の頓知のきいた意趣返しだと悟り、声に出して笑ったという。

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2013年7月31日 (水)

伏見城、御学問所の茶会

伊達政宗公が、ある時のお話に

「昔、太閤殿下(秀吉)が伏見におられた時に、御城の内に御学問所と名付けたお座敷を建てられてな、その御殿は4つの隅に御数寄屋を付けられていて、そこで東西の諸大名衆に御茶を下されたことがあった。
亭主は4人、太閤様、家康公、加賀の利家、そして私であった。

その夜は太閤様も他の3人にも、夜着と葛籠1つづつ持たせ、床を敷いて枕を並べ、
終夜様々に昔物語などして楽しんだ。

翌日、数寄屋の場所などを4人がクジをとって決め、担当の数寄屋の掃除など準備をし、
台所もそれぞれに設置してあったので、出す料理についても互いに隠し合うように決めた。

客は一体誰なのか一切知らされていなかったが、茶会の始まる直前に仰せ付けられたのが、
私の担当する数寄屋へは、佐竹義宣、浅野弾正(長政)、加藤肥後(清正)、上杉弾正(景勝)などという、私が絶交した連中ばかりを客に仰せ付けられたのである。(中絶の衆ばかり客に仰付けられ候)

そういう事なので何か変わったことをしたいと思ったのだが、にわかの事なのでどうしたものかと悩んだ、その折はつまみ菜の旬で、御汁につまみ菜を調理していた。これだ!と汁を沸かし返して熱々にし、先に作っていた汁が暫く置いていたため冷めているので、客にも迷惑だろうと、このぐつぐつに煮えた汁と素早く取り替えて出した。

この御汁を吸った客達は皆、一口も飲み込めず吐き出したが、又同じように御汁を出し、
間もなく盃酒を出したため、客は皆、終始迷惑した様子であった。

さて、4ヶ所の数寄屋での茶会が終わり、御学問所へ再び4人の亭主が集まり、それぞれその日の客の有り様などを段々と語り、私の番になって

『今日の客は皆々、私にとって一段とよく知った人々でしたので(一段と知音の衆に御座候間)、何か特別な馳走をしたいと考えましたがそうもいかず、時期ですのでつまみ菜を御汁にして熱くして出した所、口を付けた途端に火傷をしたようで、暫くは箸にて唇をかかえ、痛みに舌打ちをしていましたよ。』

と物語した所、太閤様は

「さてもさても!したりしたり!」

と、3つ4つ躍り上がり、腹を抱えて爆笑され、伺候の諸人も座敷に居かねるほど腹を抱えて大笑いされた。

その後、翌日の客の御相談をしたのだが、太閤様がお考えになったのは、天下の諸将を
様々に組み合わせ、またいろいろ手を加えられ、絶交している者達の仲をご自身でお直し
されようという御奥意があったのだと、これは後に気がついたことだ。」
(政宗公御名語集)

しかしこれはいつ読んでも、客全員の唇を火傷させた時の政宗の会心のガッツポーズが
見えてくるような逸話ですねw

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「いかん、見つかったら怒られる」

伊達政宗公が或る時お話されたことに

「あれは家康公の天下の時のことだ。私は鷹狩に出たのだが、私の鷹場と公儀の鷹場の境まで進んでも、獲物が思いのほか少なかったので、公儀の鷹場にこっそり忍び入ってな、そこで鳥を3つか4つ獲り、その上鶴まで合わせて獲った。

が、その時だ。私の鷹場の方から、大勢が鷹を使っている様子が見えた。不審に思っていると、それはなんと家康公の鷹狩の一団ではないか!これはいかん、見つかったら怒られる!
我々は慌てて大騒ぎし、鷹と鳥を隠して逃げ出した。

ところが家康公は御馬を早め、空堀の中に入られ、人馬を下知して皆堀の中に呼び込み、堀に紛れて急ぎ御退きになられた。

私はその時、御退きになった先に鳥があってお急ぎになったのだと思ったが、とにかく我々はこのラッキーに竹林に紛れて隠れ逃げた。

その後、家康公が江戸にお帰りになったので出仕すると、私に仰ったのは

『伊達殿、あの時私は其方の鷹場に盗み入ったのだ!しかしそこで其方の居るのを見つけ、
これはまずいと、つい堀に紛れて逃げてしまった。こんな事は私の一代にないことだ!
しかしこの様に降参した上は、どうか許してほしい。』

なんと謝罪されたのだ。私はこれを聞いて

『さては、そういうことでござったか!早く見つければ是非捕らえて曲事に出来たのに!

…ではありますが、実は私も、その日は公儀の御鷹場に盗み入って、家康公の御成を見つけ、慌てて逃げ退いたのです。』

と正直に申し上げた。すると家康公は

『さては、そう言う事だったのか!そういえば今考えれば、其方も竹林の影に隠れていたなあ。私に気を使って隠れたのかと思い、猶急いで息を切って逃げてしまったよ。
あの時互いにこの事を知っていたなら、逃げながらも息を休めて、ゆったりと退けたのに。
とにかくこの事は、双方に咎ありだな!』

そう、どっとお笑いなされた。御前に伺候の衆も、腹を抱えて爆笑していたよ。」

と物語されたのである。
(政宗公御名語集)

家康と政宗、鷹狩でお互いにヤバイと思って逃げ出すというお話である。
しかし政宗、せっかく隠れたのにバレバレだったのですねw

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